第4回 中央かしの木学園は鶉野飛行場跡をテーマに開催しました

平成27年8月11日(火) 中央かしの木学園は、加西市歴史街道ボランティアガイドの三宅 和子 氏を講師に迎え、『~戦後70年の時を経て~鶉野飛行場跡』をテーマに開催しました。

 

 

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「配布された資料は、すべて上谷昭夫氏から提供していただいた物です。」と言われながら、鶉野飛行場跡について話されました。

平成11年に、地元の人々、旧軍関係者、有志によって建立された、神風特攻攻撃隊「白鷺隊」隊員の戦死者名簿と共に飛行場の説明文が刻まれている“平和祈念の碑”、家族の面会、移動や物資の輸送に利用された“法華口駅”、元食事処たこの散歩の一角に見学施設として活用されている“資料館”第1第3月曜日に開館)について説明をされた後、なぜこの地に飛行場の建設が行われたかについて話されました。

西太平洋で起こったミッドウェー海戦で、精鋭空母4隻が米戦載機の攻撃により沈没し、多くの貴重な人材が、特に多くの飛行搭乗員が戦死した事を受け、急遽、練習航空隊を設置することになりました。

周りに高い建物もなく、物資輸送の鉄道があり、慰安の町が近くにあるこの播磨平野内陸部の加西郡の鶉野台地が選ばれ、民家・工場・学校が立ちのき、多くの人の手によって1年足らずの突貫工事で飛行場として完成しました。

ここに姫路海軍航空隊が開隊し、この地で特攻訓練を受けた前途ある63名の若者が、神風特別攻撃隊として出撃し、沖縄の海に散華した悲しい出来事が起こりました。

本土決戦の際、B29に焼夷弾の攻撃が当然加西にもあり、中野に嫁がれた講師は、あの時に戦中を語る家族の話を、しっかりと聞いておけばよかったと話されました。

 

 

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現存する鶉野飛行場跡の防空壕や爆弾庫などの写真をスクリーンに映し出し、説明をされました。

歴史的遺産を持つこの地から、戦争のない平和な街、国づくりを発信できるといいですね。

連日のように、メディアでは「戦後70年」の言葉が飛び交い、戦争直下の様子を伝える映像や、当時を知る人のお話を耳にする機会が多い中、加西市も戦争に大きな関わりを持つ市であることを決して忘れず、戦争の歴史を刻んだ鶉野飛行場跡が現存しているからこそ、戦時中の記録を一人でも多くの方に知っていただき、70年の時を経ても癒されることのない戦争のもたらした傷跡を風化させずに孫子の代まで伝えていっていただけたらと思います。

講座終了後、1本のお電話を頂きました。

常吉に墜落した練習機の事を記憶していた学園生からでした。

今、当時の事を教えていただける人がいる間に出来る限り、多くの事実を知り、後世に伝えていけたらと願います。

三宅先生ありがとうございました。

次回は9月8日(火)市立加西病院診療部長 内科医 北嶋 直人氏を講師にお迎えし、『健康寿命を延ばすために今出来る事』をテーマに開催します。